私の存在を否定され続けた過去
私は長い間、ある人に否定され続ける人生を送ってきました。
一言で言うと、私はその人に嫌われていたのでしょう。私がすることすべてが気に入らなかったようです。最終的には、何をしても怒られた為、何をしたら良くて、何をしたら悪いのか分からなくなりました。
すべての判断基準、それは怒られないようにするにはどうすればいいか…

「怒られたくない」という感情が先に頭をよぎるので、何に対してもすぐに判断、決断ができない優柔不断な人間になってしまいました。そして今、何をするにも自信を失くしてしまった自分がいます。
それでも、揺るぎない目標があった頃は、いつも前向きに仕事をこなしていこうと努力していました。だって、私は悪いことをしている訳ではない。すべては会社がうまく回っていくため。小さな会社でいかに効率よく仕事をするか常に考えているだけ。そう、その頃の私は会社を良くすることしか考えていませんでしたから。
16年半、私がその会社で勤め続けられたのは、その人に「認められたい、絶対認めてもらうんだ」と思って生きてきたからでした。その時は、今は理不尽に怒られている私だけど、こんなに頑張っているんだから、きっとこの先、「私に任せれば大丈夫だ」「よく頑張っている」と思ってもらえる日が来ると信じていました。
「その人」とは、会社の社長でもあり、私の父でもありました。
私の目標はただ一つ「父に認めてもらうこと」だったのです。
その頃は、信じて突き進んできた道が、まさか行き止まりになるなんて思ってもみませんでした。
前向きに生きられなくなったきっかけ
私には相談できる人がいませんでした。
いや、いないというよりかは、性格上プライドと劣等感が邪魔をして、自分の気持ちを素直に表現することができなかったという方が正しいかもしれません。
そんな私は、辛いことがあった時、以前から非公開で続けているツイッターに気持ちをぶつけるようになりました。気持ちを文字に乗せると、なんだか誰にも言えない本音が言える…正直、愚痴ばかりですが、唯一の気持ちが落ち着く場所で冷静になれる場所でもありました。
そこでつぶやいた所で、「何も解決しない」ことは分かっていましたが…
そこには、前向きに生きられなくなったきっかけが書いてありました。
この頃から体調不良に悩まされていました。一種の鬱状態だったのだと思います。眠れば夢の中でも必死に仕事をする夢…朝起きたばかりなのに、どっと疲れが出て起きられない…朝から体がこわばり、だるさで昼食をとった後は車で仮眠をとらないと一日を乗り切ることが辛い日々が続きました。
そんな中、健康診断で初めて再検査になったのです。その項目は「腫瘍マーカー」…血の気が引きました。今まで味わったことのない恐怖を覚えました。せっかちな私はすぐに再検査を受けに行って結果を待ちました。結果が出る間、全く生きた心地がしなかったことを覚えています。
結果、とりあえずは異常なし。経過観察で半年後の再検査でした。ホッとすると同時に、そこで私は違う次元に行ってしまったのだと思います。
「こんなに、死に物狂いに頑張っているのになぜ報われないんだろう…」
この気持ちが、働く意欲を失くし、前向きに生きられなくなったきっかけになったのは間違いないです。
日に日に失われて行く『やる気と自信』
何故、私は父にこんなにも嫌われているのか。
一言で言えば私はある意味、正直者だからなのでしょう。
思ったことを包み隠さず単刀直入に言う性格。そして父は、女である私が何か言うこと自体が気に入らないのです。父も私も「会社を良くして行きたい」気持ちは同じ。でも、私が同じことを言ってもそれは『違う』のです。それを16年続けて来た結果、私は何をしても怒られるようになってしまいました。
そして怒られることが面倒になってきた私は、見つからないようにコソコソ隠れて業務をするようになりました。
何度も言うように、通常の業務ですよ。悪いことをしているわけではありません。私がやるべき仕事ですし、その時は私しかできなかった仕事です。小さな会社で勤続16年も過ぎれば、人が辞める度にその人の仕事を継ぐ、その繰り返しで、私の仕事が多岐に渡り膨大になったのは至極当然なのですが。一人や二人分の役目ではなかったのは事実でした。それが父からすると「私が他の従業員から仕事を奪った」という感覚だと知った時は驚きと同時に呆れてしまいました。なぜそういう発想になるのだろうか…その時の私には理解できませんでした。
機嫌が良ければまだしも、機嫌が悪ければ必ず言われることがありました。
「お前は何をやってるんだ!自分の仕事をしろ!!遊んでばっかりいて!!」
そこからワンパターンで続く話があります。「昔、働いていた事務員は2人しかいなかったのに沢山仕事をこなしていた」や「女が交渉なんてみっともない」という話…耳にたこができるほど何度も聞いてきた話で、私にはうんざりする話です。
結局のところ結論だけ言うと、「私は仕事を何もしていない」と言うのです。
この言葉を聞くと気が萎えました。「褒めてくれさえすれば、私は勝手に調子に乗って仕事するのに…」
頭ごなしに、理不尽に怒られるとはこういうことを言うのでしょう。

能力的にも精神的にも限界で働いていた私は、そう言われたら黙ってはいられません。しかし、これもワンパターン。私がそのことについて反論しようとも、「お前はいつも言い訳ばっかりだ!」と被せられ、冷静で具体的な話にはなりませんでした。私が分かってもらいたいと必死に言えば言うだけ、本来言う必要などないことをわざわざ言わなければならない状況に情けなさが増していきました。
これがいつものパターンでした。私に向けて物が飛んでくることもありました。怒られている内容が、「私が掃除で触ったマットが定位置からずれていた」、「部屋の電気が暗く陰気臭い」、「私が勝手にエアコンを調整したから暑いのを我慢していた人がいる」など下らない話になることもしょっちゅうでした。
他の従業員から見たら、ただの「親子喧嘩」だったのでしょう。しかし対立することで、周りに迷惑を掛けるようになりました。私のせいでとばっちりを与えてしまうことも多々ありました。私は心苦しく、納得できませんでしたが、私が言えばまた悪循環が起こるので私にはどうすることもできないようになりました。
「同じ土俵に乗ってはダメだ」と私の中でいつも思って我慢してきたことも、体のだるさから気持ちがついていけなくなった時、うまくかわすことができない自分がいました。あまりに、露骨すぎて人前で涙がこらえられず泣くこともありました。いい歳した人間が人前で泣くなんて、本当恥ずかしいし、情けなかった…
そんな日々が続いたある日、一番親しかった同僚から遂に直接、「いちいち、めんどくさい」と言われてしまいました。今思えば、その時この道の「行き止まり」が見えてきたのだと感じます。
その言葉は、忘れたくても忘れられない記憶となりました。
私の存在価値が無くなった日
父との対立が増えて、私は今までやってきた仕事を外されることが増えてきました。それを、ただでさえ忙しい別の人に押し付ける形となり、申し訳なく思いました。しかし、私はそれ以上に嫉妬に似た悔しさで怒り狂いそうでした。私の力が発揮できる分野で、外すということはどういうことだろう?能力が認められていないどころか、それ以前に私の存在を消そうとしているように感じました。
それを決定付ける出来事がありました。私のポジションに近い人が採用され、入社したのです。いつもは私が面接をしていたのですがその時は外され、私以外の人たちが面接をして決めた人でした。私はやはり、受け入れることができませんでした。
誰に聞いても、「私を追い出す為にその人を入れたのではない」と言うけれど、私にはそうとしか考えられませんでした。
そしてもし、その新人さんが父に認めてもらえる人だったら「すごく悔しいな」と思いました。
私はその時、比較される人生から逃げたのかもしれません。
生きることに疲れた
私はいつも心の中で唱えるようになっていました。
「疲れたな…もう何もやりたくないな…消えたいな…」「死にたい…でも、本当に死にたい訳じゃない。生きることに疲れたんだ。」、と。
でも、実際「死ぬ」以外でこれ以上考えなくて済む方法があるとは思えず、死ねばこの辛さから解放されるのかとも考えました。本当は心をからっぽにして、「心を休めたい」が正解だったのですが、現状ではそれが簡単にはできないことは知っていましたから。
もう、何もやりたいことがない。「こうして行きたい」と突き進む気持ちが圧倒的に強かった私はもういない。常に効率を考えて、思い立ったら即行動してきた私もいない。自分の能力を120%生かして、私にできることは何でもやってきた私も、もういない。そして、私は会社にいながら、「心ここにあらず」という感じ。
現実の世界に生きながら、考えることはいつも現実逃避の安らぎの世界をさまよっていました。
今まで、「私がいないと会社は回って行かない」と周りのみんなが言ってくれていたから、私もその期待に当然応えていこうと思っていました。私は当然一生、父の会社で働くと考えていたので、それまで私が会社を辞めるという選択など考えもしていませんでした。私は逃げたくても、私自身がそれを許してくれない…私はそんな人間でした。
そう、いつか父に認めてもらえる日が来ることを信じていた。そんな私だったのに…
まさか、私が会社を辞める日が来るなんて…
会社を辞めようと思った決定的な理由
そんなある日、家で何気に10年前に習っていたコーチングのノートを見つけ眺めていました。そこには当時の悩みと真剣に向き合おうとする私がいました。その内容の多くは「父が認めてくれない」という悲痛を訴えたものでした。最後の文章を読んだ時、大粒の涙がこぼれていました。

”…おまえは何をやってるんだ、何もやってないだろと言った。だからやめろみたいに言った。淋しくてしょうがない。私が役に立つどころか、うっとうしがられ、認めてくれないどころか私をゼロのように、ムダな人間のように扱った。”
昔からそうだった訳ではなかったはず。そうでなかった時もあったはず…記憶の中とのギャップで混乱しはじめました。私は10年以上前からずっと同じ悩みで悩んでいたのか。10年経った今でも、まだ認めてもらえないんだね。
もういいよ。よく頑張ったよ私。
これをきっかけに私の中で、徐々に「諦める」という気持ちが芽生えました。
私の無残なラストラン
その日は息もする時間のないくらい忙しく、やるべき事の段取りで頭の中がいっぱいいっぱいの日でした。いつもは見つからないようにコソコソ業務をしていたのに、あまりの忙しさにそこまで気が回らず、そんな中タイミング悪く、機嫌の悪い父が会社に戻って来て私に言いました。
「お前は何をやってるんだ!自分の仕事をしろ!!遊んでばっかりいて!!」
自分の極限で仕事をしている私と、全く違う次元で簡単にやる気を失わせる社長。
(そう、そうだよね、言われるの分かっていたよ…)
そしていつものように「言い訳」のように必死に言い返そうとする自分が、本当に情けないと感じました。
(これを私がやらなければ誰がやるのか。遊んでるどころか必死に働いているではないか。何故、私を信用してくれないのか。会社を良くしたいと思っている私が、会社に不利益なことなどする訳がないじゃない…)
そして、最後にはいつものように殴り掛かってきた。いつもの親子喧嘩だ。そう、どこまでいっても親子なんだな…
その時、私の中で「ここが限界だ」と思いました。
「我慢する人生から、自分を解放してあげよう。」
そして、私は「父から認めてもらう人生」を諦めました。
別の言い方では「逃げた」とも言うのでしょう。最終的には私が無責任の塊だったのは間違いないです。
でもその時、私が来たその道は完全に行き止まりでした。必死にまわり道を探したけど、それ以上進む道がなかったのは事実でした。
仕事は大好きだったから、ただただ残念でした。
会社を辞めても続く疎外感
周りのみんなは私が急にいなくなったことで、余計に負担が増え困っている。
私から会社を辞めたのに。
辞めた後でも自分のやっていた仕事はきちんとやってもらいたいと指示したかった。本当は自分がやりたかった。
全て私の都合だ。
なのに私の心の中は疎外感でいっぱいでした。
私がずっと育んできた居場所はなくなり、私の代わりに新しい人がいる。私が愛しているものを奪われた、ヤキモチのような気分でした。
一方、会社を辞めたと同時に自由な時間が生まれ、すぐに今までやってみたかったことを順番にやろうと思い始めました。そう思った瞬間は、本当にワクワクしていました。私は長い間、自分が成長できる知識や技能を増やしたいと常に思ってきたから。
全て私がずっとやりたかったこと。それが学べて幸せじゃないか。でも、なんだか違う。この気持ちはなんだろう。
一言で言うと『空しい』。
ふと、思い出して自然と涙があふれだす。「もう一生、父に認めてもらえないんだな」という事実。習い始めた当初は、家に帰る車の中で大泣きすることもありました。それは、私がいなくても実は会社が回っていくという現実を目の当たりにして、疎外感が頂点に達した時でもありました。
その気持ちを紛らわす為、会社を辞めてから1ヶ月経った位には次の仕事を始めていました。よく考えもせず、今までやったことのない業種にチャレンジ。その仕事は、毎日がゲーム感覚で楽しくできる仕事でした。「私は他にもできることはある」と自分の可能性を見出していく一方で、日に日に自分が今まで積み上げてきた能力を活かしきれない環境に不満を感じていきました。
そんな生活をしながら、半年後にはすべて学び終え、資格を取ることができました。
でも、私の心が満たされることはないのです。
そう、私のやりたかったことはすべて16年半勤めた父の会社で活かしたいと思ったことだったから。
「学んだことをどこで発揮するの?資格を取れば父が認めてくれると思ったの?私は本当は戻ろうと思っていたの?それとも戻るべきなの?」と何百回も自問自答する日々が続きました。
判断できずにいた時、決断するきっかけが訪れました。半年ぶりに父の会社に行かなければならない用事ができた時のことでした。一目で変わってしまった状況を目の当たりにしたのです。「私が積み上げてきたものはもうここにはない。こんな感情はもうまっぴらだ。私はただ固執してきただけなんだ。」と嫉妬に似た感情に気付き、ようやくその時、もういい加減に前に進もうと吹っ切れたのです。
そうこれはただの執着だと。
結局、今残ったのは、否定され続けたことにより、何に対しても自信が持てない私だけ。
「今まで真面目に頑張って来たのに、なぜ報われないのだろう…」
いつも心の中で自問自答のループ。
「こんな人生を変えたい。もう人に振り回される人生なんてまっぴらだ。」
私は、「自分らしく生きる道」を探して自信を取り戻したいと思うようになりました。
生きることに疲れたら休めばいい
これが私の来た道です。
これまでは自分の人生でありながら、認めてもらうことに必死で、人の為に、人の顔色を見て生きてきた人生でした。
そして、私は「生きることに疲れて、生きる目的を失ってしまった」のです。
この答えは、いつ買ったかも忘れてしまった本の中にありました。
“生きることに疲れた人は、真面目な人である。努力してきた人である。努力している時に、まさか自分がこのようになってしまうとは予想もしなかった。自分の努力は、いつか報われると思っていた。いつか皆から称賛されると思った。
まさか自分の人生が、このような形で行き詰まるとは予想していなかった。でも今、生きることに疲れて、何もする気にならない。““人生には頑張る時と、休む時がある。あなたは休まないで頑張り続けてきた。
今はその分休む時なのである。今あなたは休むことで次の幸せの時代を準備しているのである。休んでいることが次のエネルギッシュな時代の準備をしているのだということを忘れてはならない。きっと春が来る。それまで休む。”“生きることに疲れた時は、まさにあなたの生き方を変える時である。
生きることに疲れた時は、幸運へのターニングポイントである。
生きることに疲れた時は、人生の節目なのである。
生きることに疲れた時は、休めばいい。
生きることに疲れた時は、今までの垢を落とす時なのである。”
加藤諦三氏 著書 「心の休ませ方」(PHP文庫)
あまりに私の状況に合っていて思わず号泣してしまいました。本を買ったのはずっと前だったのに、生きることに疲れた今、ようやく私の心に響くなんて…
ようやく自分と向き合う覚悟ができた瞬間でした。
心が変われば人生が変わる
それから私は自分を知り、自分と向き合う為に、これまでの人生での悩みや願望に対して解決する方法を探しました。
- 心が疲れた
- 逃げたい
- 休みたい
- 癒されたい
- 受け入れてもらいたい
- 認めてもらいたい
- 前向きに生きたい
- 自信を持って堂々と生きたい
- ワクワクする人生を送りたい
- 自分らしい人生を送りたい
しかし、この世界には情報が溢れ過ぎています。
膨大な情報の中から何を信じ、何を選択して生きて行けば正解か分かりませんでした。
次から次に新しい情報に上書きされ頭が一杯になり、結局状況は変わりませんでした。
そんな時ある言葉に出会い、そこから人生が好転していきました。
心が変われば 行動が変わる
行動が変われば 習慣が変わる
習慣が変われば 人格が変わる
人格が変われば 人生が変わるYouTube講演家 鴨頭義人氏 鴨Tubeより
このシンプルな考え方一つで、私の心が一気に軽くなりました。
人生を変えるには、まず自分の「心の持ち方」を変えること。
そうだった。
『全ては自分の気持ち次第』
私は思った通りの未来を手に入れられるんだった。
自分の人生は自分で選択でき、自分らしい選択が自分らしい人生に繋がることを今まで忘れていたのです。
執着してきたのも自分、それを手放すと決めたのも自分。そう、自分の明日は自分で決められるんだと。
そして、私がずっと目指してきた世界がそこにはありました。
それは、『承認』の世界。
グレートプレゼンターとは、
いつ、どこで、誰といてもプレゼントを渡している状態で生きる存在であること
YouTube講演家 鴨頭義人氏 鴨Tubeより
誰もが、グレートプレゼンターになって認め合うことを想像したら、私の心がワクワク♥してきたのです。
この気持ちが芽生えて、これからの人生に新たな目標ができました。
そして、今…
毎日をワクワク過ごせて、今が一番幸せです!!
また、私の日常にも様々な変化が訪れ、欲しかったものも徐々に手に入れられるようになってきました。
心に花の咲く道へ
このブログは、私自身の新しい挑戦と自分の思っている感情を素直に表現してみようと思い始めました。
今まで悩んできたことや、リアルタイムで悩みができてしまった時(心が先!悩まないことがベストですが…)に対処する方法を探しながら記録していく備忘録を作って行こうと思います。そして、日常の悩みに対して乗り越える「心の持ち方」を共有したいと思い、発信しています。『日々進化』をモットーに今まで知らなかった知識をたくさんインプットして、より自分らしく生きる道、心がワクワクする道を模索して、たくさんアウトプットして行きたいと思っています。 最終的には目標を達成する為のコンテンツが作れるようになりたいです。
私と同じ悩みがある”あなたへ”、一緒に「心に花の咲く道へ」行きましょう!